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5. 産声と、院長先生の判断 分娩室前の廊下では、あたしの他に数人の入院患者さん達が診察を待っていた。 …中からは、慌ただしい雰囲気が伝わって来る。 院長先生は外来の診察前に入院患者さんの診察をしなければならないので、 先生の周りでは看護婦さん達がくるくると動き回り、 テキパキとした指示の声が飛び交っていた。 「では○○さん、どうぞー」 …いよいよ名前を呼ばれて中に入ると…、 昨夜の分娩台とは別の、 もうひとつの台の方で待つように言われる。 そして台の上に寝転ぶと…、 あたしはすぐ、ある事実に気付いた! 「頑張って!もう少しだよー」 カーテン越しのもうひとつの分娩台では…、 どうやら…、 お産が進んでいたようなんです…!! 何やら必要以上に騒がしかったのは、こうゆう事だったんだ! 「…もう少しで赤ちゃん出るからねー」 …Aさんの声。 「はい、1、2の…!」 3…の声で、その妊婦さんは力いっぱい息んだ。 …あたしは、とんでもない場面に遭遇してしまったと思った。 苦しそうな声に、あたしの体は一瞬にして固まる。 「…○○さん、ごめんなさいね、診察がストップするので、そのまま待っていてくださいね!」 看護婦さんの一人があたしにそう告げると、 廊下で待っている他の患者さんには、一度部屋に戻るよう促していた。 この産院では…、赤ちゃんを取り上げる寸前までは、院長先生ではなく助産婦さんが全てを任されているので、 院長先生が診察をストップしてお産に呼ばれたとゆうことは…、 どうやら…、産まれるみたい!! 「ハッハッハッハッ…」 短い呼吸に入った。 どうしよう、 産まれる…、産まれちゃうよ…。 あたしの心臓はバクバクと波打ち、 ひたすら天井を見ていた両目からは、涙が溢れそうになった。 頑張って…頑張って…。 …そして…、 「おめでとうございます…!!」 …ついに、 場の空気は一転した。 よく晴れた日の午前9時過ぎ、 この分娩室は、看護婦さん達の明るい声を皮切りに、安堵と喜びの色に包まれた。 …あたしは、そのまま天井をぼうっと眺めていた。 感動で涙がこぼれそうだったけれど、 今流してしまうのは、もったいない気がした。 …あたしの涙は後で。 チュッちゃんに会えた時に、流したいな。 …やがてすぐに、赤ちゃんが泣き出した。 …女の子みたい。 カーテン越しに聞こえるママさんの声は、 さっきまでの苦しい悲鳴が嘘のように思える、可愛らしい声だった…。 羨ましいな…。 あたしも早く、その立場になりたいな…。 …多分あたしは、ずっとお腹に手をあてていた。 まさか…カーテン越しとは言え、 自分の出産前に、ほかのママさんの出産に立ち会うなんて思いもしなかったけれど、 すごく…すごく、感謝したいと思った。 あたしはまた、勇気をもらった気がしたんです…。 「…お待たせしましたね」 …するとほどなくして、院長先生が笑顔であたしの前に現れた。 たった今赤ちゃんを取り上げた院長先生は、 見るからに優しそうな笑顔を浮かべていた。 「いえ、感動しました…」 あたしは小さく答えた。 …早速、内診をしてもらう。 あたしはあたし。 待ち望んだ、チュッちゃんのお顔を見る瞬間のために、頑張らなくちゃ…! 「うーん…、開きは3cm位で、陣痛が無いんだね…」 …あたしのカルテに記入をしながら、先生は少し間を置く。 そして…口を開いた。 「…予定日も過ぎてるし、赤ちゃんも3600を越えてるから、バルーンで子宮口を広げる処置をしましょう。準備しますので、また呼ばれたら来てください」 …あたしはドキッとした。 バルーンで、子宮口を広げる…? 「…はい」 あたしは平静を装って台から降りたけれど、 内心は、少し尻込んでいた。 今日明日にも、強い陣痛を経験してチュッちゃんを産む事になるとは解っていたけれど、 まさか、こうして人工的にお産が進むなんて…。 …あたしは陣痛室に戻ると、早速母にその事を告げた。 「良かったね、…きっとすぐに産まれるよ」 母は、マイペースでにこやかにそう答えた。 思ったより母がリラックスしている事に、あたしは少し意外だったけれど、 「…そうだよね、遅かれ早かれ、産まなきゃならないんだもんね…」 徐々に、気持ちが固まってきた。 …出来れば、チュッちゃんが出てくるのを自然に待ちたかったけれど、 先生が判断した事だし、 成り行きに任せようと覚悟を決めた。 出てくるのを促されて…、チュッちゃんも驚くかもしれないけれど、 ママと一緒に、頑張ろうね…! …そして、一度部屋に戻っている間に、 あたしは、隣のベッドの妊婦さんと話す事が出来た。 あたしより少し年上のその妊婦さんは初産で、 まだ…子宮口は1cmしか開いていないと言う…。 「もう、腰が痛くて…」 妊婦さんが顔をしかめると、 「腰、さすりましょうか?」 なんと母が…、信じられない事を持ちかけた。 「……!」 あたしはびっくりして言葉が出なかったけれど、 とりあえずは、妊婦さんの反応を待った。 見ず知らずの人に腰をさすってもらうなんて、 かえって気疲れさせてしまわないかな…。 だけどその時…、 「○○さん、準備出来ましたよ、どうぞー」 あたしは看護婦さんに呼ばれてしまった。 「ほら、行ってらっしゃい!」 乗り気の母は、妊婦さんを介抱しながらあたしに言う。 どうやら、本当に腰をさするつもりみたい。 あたしは分娩室に向かったけれど、 その妊婦さんが、心配でたまらなかった…。 次へ>> |





